生きよう
今日は作業療法(以下、OT)のスケジュールで映画鑑賞の日でした。今回はロクヨンという映画の前編を観ました。
誘拐事件で娘を殺された夫のシーンから始まり警察組織の策略など、暗い映画で悲しくなりました。
入院してから悶々と過ごす中で、昨日、消えていた気持ちが再登場しました。
それは自分の居場所、存在理由が無くなったと思ったからです。
お寺が苦しいからうつになったと思ってました。
ですが、それだけではなかったと思いました。
入院して20日目に初めて自宅へ4時間ほど戻りました。少し回復してると確信があったので、家族で過ごそうと思いました。
長男がTVゲームをしたいというので一緒にしました。10分程たったころ、急にきつくなりました。
「ごめん。1人で出来る?」
と長男を残して部屋から出ました。
今度は長女と遊ぶことにしましたが、やっぱり少しして離れました。
妻が学校のことや幼稚園のことなどの話が始まりました。
正直、聞きたくなくて嫌でした。
「映画でも見たら?」
5作品位が録画されていました。私は映画を見るのが大好きで、とても癒やされます。
しかし、これも少し見たら削除して見ませんでした。
今度は家族ですごろくをしようとなりましたが、私はしませんでした。その場にいるのがきつかったからです。
ソワソワして落ち着かず、嫌な気持ちで、早く病院に帰りたいと思いました。
予定より早めに病院に戻り、ホッとしました。なんであんなに苦痛だったんだろう?苦痛でたまらなかった。
私にとって、大切で安らげる家庭が、お寺と同じように苦痛になっていたんだろうと思いました。
私の居場所はお寺にもなく、家庭にもない。病院が私の居場所である。
それならば私の役目が終わったということだろう。入院はお金がかかリます。
そんなことを考えていたら、
「もういいっかな。自分の人生、これで終わらせていいかな」
と、また死ぬ事を考えてしまいました。
主治医との面接でそのことを話しました。
「自分が死んでも保険金などで住宅ローンも生活費も大丈夫。だから人生を終わらせていいかな」
「理屈はあなたの言うとおりかもしれない。でも死なないでください。生きてください。もう少しここにいましょうね。私がそばにいますから」
面接が終わり、電話で、その気持ちを妻に話しました。
私の気持ちに気づいてくれていました。嬉しかったです。
もう少しゆっくりして、回復していきます。
まだまだ時間がかかりそうですが、死のうという思いは、とても小さくなってきました。
すこしでも不安が小さくなりますように。