退院について思うこと
私の周りで退院する人がたくさんいます。仲良くなった子、色々なことを教えてくれる年配の方など話をするようになった方々が、次々と退院していかれました。
同時に新しい方も次々に入ってこられています。
寂しさがありますが、退院するということは病気が治った、回復したということですので、嬉しいことです。
がんばってね!とお別れをすませば、私はまた日常の入院生活に戻ります。
私は退院のことを考えると、まだまだ入院していたいと思います。また、お寺がどのような改善策を提示してくるのかを待つしかないから退院できないということもあります。
不思議なもので、最初は嫌だった入院が今ではとても大切なものに変わっています。なぜだろうか?
考えてみると、自分の人生を自分で生きたことが無かったからかもしれません。仏の道に入るとき、仏の導きのままに生きることが一番大事であって、そこに自分の考えを入れ込んではいけないという教えがありました。
その教えどおりに生きてきたつもりですが、受け取り方が違っていたのではないかと思います。
「仏の導きのままに、自分の力で生きる」
この「自分の力で生きる」という部分をおざなりにしてきたのではないかと思います。
この気づきが正しいものであれば、どこの職場に行ってもやっていけそうな気がしますが、
「もう一度、お寺に戻ってこい」
との仏様の声が聞こえてくるようです。
周りの退院に惑わされることなく、じっくりと休養し、自分の退院を待ちたいと思っています。
少しでも不安が小さくなりますように。