愛のムチ
今日は、急遽、主治医と面接することになりました。
最近の出来事として、お寺との面接以降、引きこもるようになり、二人が憎い、嫌いだ、転職か復職か悩み、迷いすぎて喫煙しているときに自分を切り刻む妄想があったなどを話しました。すると、主治医からは、怒るかのような説教を受けました。「何で、こんなに言われるんだ?」心で思っていると、最後には、「あなたとの治療はこれで最後にしたほうが良いと思っている」とまで言われ、さじを投げなれました。まるで船から落とされ、泳いで行けと言われたような、親から見捨てられたような悲しい気持ちになりました。
面接後、「なぜ、あんなふうに言われたのだろうか」と悲しい気持ちのまま部屋へ戻りましたが、更に引きこもりそうになったので、散歩して考えようと思い、コンビニへ外出しました。
「あいつらが憎い、白黒はっきりしろ、思ってたのと違う、転職してもまたそこで思ってたのと違うと思って繰り返すよ。この時間に、あなたの主体性の話が一つも出てこないじゃないか!」と、主治医が罵倒されたのはなぜだろうか?
主体性ってなんだろう? 主治医は何を言われようとしたのだろう?
散歩しながら考えました。
主治医が言いたかったのは、「恨みつらみ、憎しみにとらわれないで、自分の生き方、自分の人生を考えなさい。その生き方を応援していく。いい加減に、その囚われから離れなさい」ということを言おうとされたのではないかと思いました。これが愛のムチなのかもしれないと受け取りました。
そう確信すると、覚悟が決まりました。
「復職して、僧侶職員を続ける」
妻に電話して、面接のことを話しました。
主治医は妻だけとの面接の中で、「悪役になること」を話していたようです。
妻の話を聞いて、本当に確信しました。
明日は定期面接があります。私の覚悟を話して、お礼を言いたいと思います。
自分の人生をしっかりと考える事の大切さを改めて実感しました。相手が悪いばかりを言い続けるのではなく、折り合いをつける。そうした折り合いをつけながら、仕事をやっていくことが私には必要なのだと思いました。
明日の面接が楽しみです。
少しでも不安が小さくなりますように。